コミュニケーションに極意はあるのか?
ハルカです。
以前、同期のポニーさんからもらったシールがかわいらしく、お気に入りとなりました。少しずつあちらこちらへ貼り付けて、ほんわか癒されています。
私はこれまで、似たような歯科グッズを見かけたことがありませんが、さすが歯科技工士、歯に関するグッズは見逃さない性質を持っているのでしょうか。
さて、入れ歯屋では週に2度、新人会議というものが開かれています。
参加者は、社長とポニーさんと私の3名。この会議はいつも、次の社長の一言から始まります。
「最近どう?」
我々新人2名が、最近取り組んでいる業務のことはもちろん、困っていることや悩んでいることを互いに共有します。その上で、会社や社長の思いを聞き、ちょっとした「なんで?」を解消したり、稀に社長から勧められた書籍の感想を話したりすることも。
この日は、その新人会議にて次のテーマが挙がりました。
「言ったからといっても、聞き手に伝わっているとは限らない」
普段の生活を振り返れば、確かにそうだなと感じます。
「え、あのときこう言ったじゃん」と、そう家族にそう発することはあるし、ましてやまだ慣れない環境であればなお。すると社長が、「経営者になる経営者を育てる」という書籍を引用し、以下のことを紹介してくれました。
- Said ≠ Heard
- Heard ≠ Listened
- Listened ≠ Understood
- Understood ≠ Agreed
- Agreed ≠ Convinced
自分が言ったからといって、聞いてもらえたわけではなく、聞いてもらえたからと言って聴いてもらえたわけでもない。聴いてもらえたからと言っても、理解してもらえたわけではなく、理解してもらえたからといって賛成してもらえたわけではない。賛成してもらえたからといっても、納得し行動しようと思ってもらったわけではない。
加えて、その本によると、一方的に「伝える」のではなく、「共有する」ことが必要なんだとか。
これはすなわち、送り手が「伝える」ことはあくまで手段であり、受け手が「共有する」ことが目的であるということ。そして、送り手がいかに送ったかではなく、受け手がいかに受け止めるか、ということだそうです。
この話をした際に、社長が「今度、会社のみんなにこれを話そう」と言っていましたが、そんなことお構いなしに本ブログでも使わせてもらいました。それだけ自分の中で「納得し、行動しようと思った」内容であったと言っても過言ではありません。
コミュニケーションって簡単なようで難しいと、つくづく感じるハルカなのでした。
<つづく>
補
終わりに、加えてハルカが感じたことメモ。
本日、偶然「大学時代は何を勉強していたんですか?」といった質問を受け、この「共有する」ことをふいに当時学んだことに写しこんでみました。もちろん、かなり単純化したもので。
まず、プレイヤーはメッセージの送り手と受け手の2名。
各プレイヤーの行動は、相手に「言う」「言わない」、および相手の発言を「聞く」「聞かない」のそれぞれ2通りで、送り手が行動した後に受け手は自らの行動を決定するが、送り手がどの行動をとるのかを認知できない状況です。
本来であれば送り手のタイプだとか利得が等の提示が必要。そもそもこの考え方が合っているのかどうかや、意味があるのかないのか等は、メモなのでまずは無視。
仮にこのイメージが間違っていないのであれば、おそらくこの一連の流れが、上に記した5つの段階(Said → Heard → Listened → Understood → Agreed → Convinced)を経てこそ、相手に納得し行動しようと思ってもらえるのだなと、ぼんやりと考えた、そんな華の金曜日です。